懐かしい動画
 懐かしいクイズ番組

『連想ゲーム』、『凸凹大学校』、『減点パパ』、『象印クイズ ヒントでピント』
クイズタイムショック アップダウンクイズ' がっちり買いまショウ
霊感ヤマカン第六感
 東芝ファミリーホール特ダネ登場



連想ゲーム
出演者、男性人は加藤芳郎さん、渡辺文雄さん、水島裕さん、辰巳琢郎さん・・・。
入れ替わってからは、江守徹、宍戸開!。
女性人は、壇ふみさん、坪内ミキコさん、


『減点パパ』も、三波伸介が、子供からお父さんの特徴をいろいろ聞いて、似顔絵にしていたんですよ。
たしかそのコーナーの前は、劇場コントをやってたような気がするんです。

『象印クイズ ヒントでピント』
これの男性キャプテンの小林亜聖さんは、最後の16分割のコーナーまで、ずっと寝てたような気がします!

今でも特に印象のある『連想ゲーム』。

懐かしいクイズ番組の連発ですね。
どれも楽しめるクイズ番組でしたね。
「連想ゲーム」は 壇ふみさんがよく正解を出していたような記憶があるのですが 頭の回転のいい人だなぁといつも思ってみておりました。私も記憶があいまいなのですが 両親がクイズ番組が好きで紹介してくれたものは 全て観ておりました。

アップダウンクイズ'
1963年10月6日から1985年10月6日に放送、毎週日曜日19:00から19:30に放送されていた。ロート製薬提供のクイズ番組
==番組の概要==
:喜劇俳優で当時胃腸薬「シロン」のイメージキャラクターだった市村俊幸が司会、毎日放送小池清の出題でスタートしたが、半年後の1964年4月から司会は小池が、出題は毎日放送アナウンサーが務めることになった。この小池体制で11年間長く親しまれたが、1983年10月から司会がタレントの西郷輝彦にバトンタッチ

==キャッチコピー==

:「10問正解して、夢のハワイへ行きましょう」からのちに「10問正解して、さあ、ハワイへ行きましょう」に改められた。


私の秘密

1955年4月14日〜1967年3月27日の放送 NHK総合テレビのクイズ番組

毎回素人参加者が登場し、その参加者の持つ特技、趣味、自慢などを[原あき、藤浦洸、塩月弥栄子ら著名人などの回答者が当てるという形式。司会者は当時NHKアナウンサー高橋圭三氏がに担当し、冒頭の挨拶では「事実は小説より奇なりと申しまして世の中には変わっためずらしい経験をお持ちのかたがたくさんいらっしゃいます」がきまり文句であった。以降は、後輩の八木治郎(1962,4〜1966,3)、長谷川肇]1966,4〜1967,3)が司会を担当。後任の3氏とも、後に民放へと活躍の場を移した。


ほんものは誰だ?

1973年2月-1980年9月の木曜(1973年10月より月曜日に移行)の19:30-20:00に放送されていた。ロート製薬提供のクイズ番組。司会は文化放送OBの土居まさる。
==クイズの仕組==
毎回、3人の一般視聴者や芸能人がある特技や趣味を持っているという共通点でスタジオに登場する。解答者は3人に対して様々な質問を出し、それを推理の参考にして本物1人を選び出す。

==おもな解答者==
遠藤周作 岡崎友紀 藤本義一 あべ静江 新井春美 和泉雅子 柴田錬三郎




東芝ファミリーホール特ダネ登場

1970年 10月〜1979年 9月にかけて、放送。各地のホールをまわって開催した。司会は押阪忍。解答者は長門裕之・南田洋子夫妻、山本直純、金田正一、江木俊夫、芳村真理、桂三枝ほかで男女対抗形式。

1問目は珍名さんクイズ。

4問目は男女対抗の問題。最初の珍名問題以外は総じて、こんな特技が出来ますみたいな人が登場してくる。最初の登場時にコスチューム等で悟られないように全身を黒いマントに包まれる格好で登場するのと、視聴者には先に熊倉かずおさんのナレーションで「この方は――なのです」の常套句があって、その人をイラストまじりで紹介していた。

出演者には東芝の各種製品が贈呈されていた。


クイズグランプリ


== 放送概要 ==
*放送期間:[1970年3月30日〜1980年12月26日]
[フジテレビ、毎週月曜日〜土曜日19:30〜19:45(後に土曜日廃止)
*司会:小泉博

== 基本ルール ==
番組の体裁としては、毎日5人程度の回答者が出演してジャンル別(文学・歴史、芸能・音楽、スポーツ、科学、社会、テーマ問題)の6つの項目を選び、10〜50点のカードの中から点数の低い順番に問題を選んでもらう。最初の問題だけは司会者の小泉博が選び、第2問からは原則として正解した回答者が問題を選べる。
チャンピオン大会では、(テーマ問題)が(ノンセクション)というジャンルに変わり、点数も20点単位となり、20〜100点となった。

問題は早押し形式で、正解すればその得点が加算されていく。また、チャンスカードが2枚隠されており、これはそれを引いた回答者だけ回答権がある。回答者は得点の範囲で点数を賭けることが出来る。但し得点が50点以下の場合50点まで加点される。正解すれば賭け点が得点として加算、誤答した場合は賭け点分減点。

===以降のルール変更===
当初は月曜から金曜まで予選とし、各曜日のチャンピオンが土曜日のチャンピオン大会に出場、そこでチャンピオンとなった人がヨーロッパ旅行を獲得できた。後に同じ回答者が3日間連続でトップ賞になった場合にヨーロッパ旅行獲得となった。

番組の視聴率低下とともに、1980年12月26日を持って、番組は終わった。
この時間は、その後に放送されていたスター千一夜との兼ね合いから、後番組も15分番組として製作された。後番組は漫才ブームの影響でバラエティーの爆笑おじゃマンザイ!』となった。

世界一周双六ゲームゲーム

1980年4月6日から1986年3月30日まで放送された。司会は当時、朝日放送のアナウンサーだった乾浩明。
全国ネット進出当初は武田薬品工業の一社提供、番組冒頭に「タケダ、タケダ…タケダ、タケダ〜」という映像が流された。当初は関西ローカル放送で日曜日11:00〜11:45で放送されていた。司会の乾の大阪弁丸出しの演出・司会振りが受けてか、1983年3月より全国ネット化、同じ日曜日19:00〜19:30の30分間の放送となった。

乾氏が回答者へ大阪弁の辛辣なツッコミをして、面白く番組を盛り上げた。「ガックリ都市」へのサイコロの目が出ないように大声で「2・5はあきまへんでー」と叫ぶこともあれば、「ガックリ都市」に入った際「あ〜…、4はあかんと言うたやんか…。」と嘆いたり、「ラッキー都市」やゴール、「ジャスト宣言」時にサイコロの目が出るように大声で「6・6・6・6・6でっせ」等と叫び、まさに出場者を応援しているように盛り上げた。



霊感ヤマカン第六感

 1974年10月〜1984年10月。



'霊感ゲーム
女性軍、男性軍御互いに、相手の答えがヒントとなる。一発で正解すると両軍にも得点が入る。ただし決着がなかなかつかない場合は、フランキー堺から、ヒントが出される。

ヤマカンゲーム
体のパーツや子供の頃の写真などを見せて、フランキー堺の指名通りの人物を当てる。

第六感ゲーム'
3つのヒントから人物を当てる。ただし1枚だけジョーカーが導入されていてた。

印象深いテーマ曲は山下毅雄の作曲。

司会は初代 [ロイ・ジェームス](1974,10,4〜不詳)
2代目[野末陳平](不詳〜1977,3)
3代目 [フランキー堺](故人、1977,4〜1984,10,3)である。



クイズタイムショック

 
 
番組の冒頭は、初代司会者である田宮二郎の「現代は時間との闘いです。さあ、あなたの心臓に挑戦します。タイム・イズ・マネー、1分間で100万円のチャンスです」で、はじまった。


クイズタイムショック
歴代司会者==

クイズタイムショック(1969年1月〜1986年3月)

*初代・田宮二郎 故人(1969年1月〜1978年9月)
*2代目・山口崇(1978年10月〜1986年3月)


==クイズタイムショック(1989年10月〜1990年3月)=
*3代目・生島ヒロシ


===タイムショック21===
*4代目・鹿賀丈史




がっちり買いまショウ

1963年12月から1975年11月まで毎週日曜日12:45から13:15に放送されていたクイズ番組、買い物ゲーム番組司会は、漫才師コンビの夢路いとし・喜味こいしさん。

がっちり買いまショウ
==ゲームのルール==
:出場者は会場に置かれた値段のわからない品物の中から、決められた金額に合う様に買い物をする。
:出場するペアは3組。各チームの買い物の設定金額を決めるためにゲームを行う。これは、:ゲームの内容は週替りで(椅子取りゲームや玉転がしゲームなど)であらそう。

:各チームの買い物の、制限時間は2分。
:その間に欲しい品物を取って行き、設定金額と取った品物の合計の差額が4000円以下なら、品物をすべて獲得できる。
:また設定金額と同じだった場合は「がっちり賞」として賞金10万円がもらえた。

:なお小金額調整用に、スポンサー商品の他に靴下やネクタイなどが置かれていた。
:但し、設定金額を1円でもオーバーすると失格で、残念賞としてスポンサー製品の詰め合わせが参加賞として送られた。
==スポンサー==
番組開始から1971年までは、マースカレー等の食品製造会社のオリエンタル株式会社が、一社提供。
1972年から、菓子等の総合食品メーカーの江崎グリコグループに交代。

がっちり買いまショウ
==有名なお決まりのセリフ==

「男は度胸、女は勘定。お手手出しても足出すな。がっちり買いまショウ!」
 (オープニングでのいとし・こいしの、掛け合い。)


「5万円、7万円、10万円、運命の分かれ道!」
 番組開始当初は1万円、3万円、5万円だった。この口上の前に、喜味こいしは[[アコーディオン]]の曲にあわせ、ゲーム内容を歌いながら説明していた。)。


「ではまた来週も、オリエンタルがっちり食いましょう!」
 スポンサーがオリエンタルの時代のエンディングに、いとしがこのセリフでボケて、こいしが「ちゃうがな」と突っ込みを入れ、その後「ではまた来週も、オリエンタルがっちり買いまショウ」と、2人で言う。

「お利口にグリコ」
 スポンサーがグリコの時代のエンディングで、収録会場に来ている子供に、いとし・こいしがインタビューをして、謝礼代わりに、手提げ付きのグリコを渡すときに、言ったセリフ。



スポンサーがグリコの時代には、いとし・こいしの胸ポケットには、グリコマークのワッペンが着けられていた。
出場者が設定金額を、オーバーしそうな時や足りないときには、いとし・こいしの2人がそれとなくアドバイスをしていたようだ。

ベルトクイズQ&Q(司満会:増田貴光→椎名勝巳→押坂忍)
桂三枝の連続クイズ(司会:桂三枝)
スーパーダイスQ(司会:土居まさる)
クイズダービー(司会:大橋巨泉→徳光和夫)
ほんものは誰だ?!(司会:土居まさる)
それは秘密です(司会:桂小金治)
東芝ファミリーホール特ダネ登場!?(司会:押阪忍)
謎のカーテン(司会:押阪忍)
シャープ・スターアクション→シャープ・新スターアクション!(司会:金原二郎)
SHARPクイズでクイズ(司会:あおい輝彦・相原友子)
逆転クイズ スーパービンゴ(司会:B&B)

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『連想ゲーム』、『凸凹大学校』、『減点パパ』、『象印クイズ ヒントでピント』
クイズタイムショック アップダウンクイズ' がっちり買いまショウ
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